ギャンブルというものは昔から悪だと言う人は多くいます。
日本では特にそういうイメージが強いですね。パチンコも、競馬も、消費者金融も、人の金欲を上手く利用していると思います。
ギャンブルをする日本の人口と言うのは2500万人とも言われています。5人に1人が趣味にしているほど深く浸透しています。
これほどまでに浸透したのも戦後になってからでしょう。焼け野原になった日本は明日への希望も薄れ、あちこちで強盗や強奪も繰り返されました。
せっかく戦争から生き延びた人たちも生き続けるために食べるものを奪い合うような日々でした。
そんな環境の中でも仕事を見つけ、そこで得たお金をもっと増やすために麻雀やチンチロなどが流行り出しました。
仕事以外に何もない生活から出てきたものが人々を大きく刺激しました。
むしろ、だんだんと麻雀やチンチロをしたいから必死で仕事をする人たちも増えたほどです。
単に真面目に毎日しっかりと仕事をする、という生活は人間にとって退屈なものなんです。
・何のために仕事をしているの?
・何のためにお金を稼いでいるの?
・もっとお金を増やすためにはコツコツ仕事をしているだけでは物足りないんじゃ?
・100万円1000万円が一気に銀行口座に入る可能性のあるものとは?
そういう欲や目的があるからこそ仕事もバリバリ真面目にできるものだという見方もあります。
こうなるとギャンブルが無暗に「社会の悪」と決めつけるのではなく「社会の正義」という考え方もできるわけです。
単調に毎月25万円の給料が入ってくるだけの日々の中、ある時あっさり5万円が手に入るようなことがあるとやっぱり癖になっちゃいますね。
ギャンブルというのは人間社会だからこそ生まれてきたオリジナルの文化です。
賢い人ほどお金が掛かっていることに真剣に悩んだり考え込むことが好きなものです。
宝くじにせよ、麻雀にせよ、トランプにせよ、大抵のゲームやギャンブルには「数字」が関連してきます。
うまく先を読んだり計算したりすることに脳をフル回転させて、自分の考え通りにお金が入ってくることには100%の力を注ぎます。
どうやって貯金を増やそうか、どうやってさらに稼ごうか、どうやって損をしないで済むか、という考え方は人間社会で生活することにとってごく正常なことです。
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